屈辱の学校〜中学1年生・人生全否定編〜

ここで一旦、私の悲惨な担任地獄は終焉を迎える、というか集大成的に駄目になる。
5年の時の悪友、Yちゃんと再び同じクラスになるという不運も手伝い、中学1年はものすごくひどい1年間だった。
担任は、職員トイレでガードハローつぶ塩をもって歯磨きをしていたことから、それを見た3年の先輩連中によって「つぶ塩」と名付けられた。場合によっては「つぶ」と省略されることもしばしば。
家庭科の時間にガムを食べていたのを、担当教師に見つかりチクられ、友人と二人で職員室に正座をさせられた上でビンタをされた。それは私にとって人生初のビンタだった。
給食時間、Yちゃんと私を含む軍団*1が、教室の1番後ろに陣取って飯を喰っていた。各人がそれなりの面倒臭がりなので、食後の食器返却はトレーの人はトレーのみを前方のテーブルに返却、といったような分担制だった。
Yちゃんはその日キウイの皮担当で、最強に面倒臭がりな彼女はあろうことか教室の最後部から、皮を入れのバットが置いてある最前部テーブルに向かってキウイの皮を投げた。
キウイの皮「べシャッ!」
クラス全員「…。」
つぶ塩担任「誰だっ!今のはっっ!!」
我々はゲラゲラ笑いながらYちゃんを指差して、Yちゃんもノリで「はーい!わたしでーす!」と挙手。すると、つぶ塩はものすごい形相で勘違いし「M(不良)っ!お前か!!」と言って、ずんずん後方に歩いてきてMちゃんをロッカーまで詰め寄り、ロッカーの上に置いた彼女の手を
「食べ物を無駄にするなっ!!!」
という言葉と共に思いっきり叩いた。しばらくすると、Mちゃんの手は信じられないくらい腫れ上がり、食べ物ではないキウイの皮を投げつけたのはYちゃんにもかかわらず、彼女は保健室で氷をもらって午後はずっと冷やし続ける不良、という悲しい有様に成り果てた。
あの時起きた様々な事件を列挙したら、ノート1冊はくだらないだろう。でも、これほどトドメなできごとは未だかつてない。
三社面談の日、母親と一緒につぶ塩の話を聞いていた。将来のことが中心となる話だったと思う。事前に生徒に配っていたシートには「将来の夢」「大学に行きたいか」「行ったら何をするのか」等々を書き込む欄があった。私はつぶのことを大変嫌悪していたし、将来について明確なビジョンがあったわけでもないので、将来の夢の欄に「お嫁さん又はアイドル又は歌のお姉さん」と書いた。
つぶ塩はそれを母の前で大声で読み、ゴーというくらい大きなため息をつき「まじめに考えてないなあ。…んー、お母さん。…○○(私の名)は、生き方が下手ですね」と言った。母は呆然、私は唖然。その後どんな会話をしたかは精神的衝撃が大きすぎて、覚えていない。8人組の誰かが、掃除ロッカーに入ってその一部始終を聞いていたことだけは確かだった。ただ、帰りに駐車場に止めた母の車のところまで二人で歩いてる時の私は、激しく号泣していた。私を生んでくれた母までもが小馬鹿にされたようで、情けなくて、悲しくて、泣きながら歩いた。
今になって考えると、つぶ塩の言っていたことが本当だったようでさらに悲しくなるが、13歳の少女の人生を親の目の前で罵倒するのはいけないことだと思う。
その後遺症が高校生になっても、予備校生になっても、大学生になっても、会社員になっても、今でも、ずっとあるのです。

*1:本物の不良(煙草を吸っていた。きっとシンナーも)1名。似非不良が5名程度。計8人に及んだ。